雨の中、足は彼の地へ。
鹿島神宮。
この地には数度来ていますが、初めて参拝します。
かの武甕槌(タケミカヅチ)が祀られている地。
なんかそれだけでもご利益がありそうです。
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もう一人の神、ジーコも見守る場所。
来ました、カシマスタジアム。
今回は初のバックスタンド側からの観戦です。
ANTLERS LEGENDS
KAY FRIENDS という名のJレジェンズ。
中田浩二、柳沢敦、新井場徹の合同引退試合である ENCORE が開催されました。
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前日試合のあった三浦カズ選手も参戦。
OB戦を見る機会がちらほらありますが、今回は現役選手が多く参加してくれたのが嬉しかったです。
秋田と中山の現役時代さながらの競り合い。
伝説を作った鹿島から離れた京都で引退し、監督にまでなった秋田。
その秋田とDFを統率していたのが奥野僚右。
日本代表には呼ばれなかったものの、鹿島の一時代を支えたセンターバックの要です。
好きな数字は、と聞かれると頭に思い浮かべるのはあの数字と14の2つ。
その14を背負っていたのがこの増田忠俊。
試合終了間際に見せる期待あふれるプレーが今も記憶に残っています。
彼ら以外にも、平瀬、鬼木、名良橋、室井、阿部・・・この合同引退試合は彼らの引退試合でもあると思います。
ミスターアントラーズ、本田泰人。
鹿島一筋で2006年に引退。
こういう選手は中々出てこない時代になりました。ちょっと寂しい気もします。
そして主役たち。
去年でピッチを去った中田浩二。
テクニック、スピードでは劣るところを的確なポジショニングとメンタル、フィジカルでトップクラスになった選手。
あの雪の国立競技場の決勝戦からずっと応援し続けてきました。
残された曽ヶ端、小笠原、そしてその決勝戦で戦った本山。
ゴールデンエイジとして同期入団した彼らとも最後の試合です。
ガンバから来た日本代表候補、新井場徹。
結局、日本代表には定着できませんでしたが、相馬が去った左サイドを中心に複数のポジションを起用にこなしていました。
今回の引退試合を一番盛り上げたのは間違いなく彼です。
エースストライカー、柳沢敦。
10年に1人の逸材として鹿島に入団。以降、13番という背番号が選手として「良い」番号だと印象づけたのもこの選手が居たから。という私の好きな数字はその時からこの13(と14)です。
鹿島のFWはこうあるべき、というプレーを完全に表現できるのはこの柳沢ぐらい。だからこそ、チームを離れるときも、それからも鹿島ファンから愛されてきたのだと思います。
この試合の1つ1つのプレー、選手を見ると、多くの記憶が蘇ってきます。
語り尽くしきれない多くの思い出。
それがこの1試合、90分に凝縮されていました。
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2015年7月5日、ここから鹿島アントラーズの新しい伝説がスタートする、そんな予感がします。
鹿島神宮。
この地には数度来ていますが、初めて参拝します。
かの武甕槌(タケミカヅチ)が祀られている地。
なんかそれだけでもご利益がありそうです。
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もう一人の神、ジーコも見守る場所。
来ました、カシマスタジアム。
今回は初のバックスタンド側からの観戦です。
ANTLERS LEGENDS
KAY FRIENDS という名のJレジェンズ。
中田浩二、柳沢敦、新井場徹の合同引退試合である ENCORE が開催されました。
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前日試合のあった三浦カズ選手も参戦。
OB戦を見る機会がちらほらありますが、今回は現役選手が多く参加してくれたのが嬉しかったです。
秋田と中山の現役時代さながらの競り合い。
伝説を作った鹿島から離れた京都で引退し、監督にまでなった秋田。
その秋田とDFを統率していたのが奥野僚右。
日本代表には呼ばれなかったものの、鹿島の一時代を支えたセンターバックの要です。
好きな数字は、と聞かれると頭に思い浮かべるのはあの数字と14の2つ。
その14を背負っていたのがこの増田忠俊。
試合終了間際に見せる期待あふれるプレーが今も記憶に残っています。
彼ら以外にも、平瀬、鬼木、名良橋、室井、阿部・・・この合同引退試合は彼らの引退試合でもあると思います。
ミスターアントラーズ、本田泰人。
鹿島一筋で2006年に引退。
こういう選手は中々出てこない時代になりました。ちょっと寂しい気もします。
そして主役たち。
去年でピッチを去った中田浩二。
テクニック、スピードでは劣るところを的確なポジショニングとメンタル、フィジカルでトップクラスになった選手。
あの雪の国立競技場の決勝戦からずっと応援し続けてきました。
残された曽ヶ端、小笠原、そしてその決勝戦で戦った本山。
ゴールデンエイジとして同期入団した彼らとも最後の試合です。
ガンバから来た日本代表候補、新井場徹。
結局、日本代表には定着できませんでしたが、相馬が去った左サイドを中心に複数のポジションを起用にこなしていました。
今回の引退試合を一番盛り上げたのは間違いなく彼です。
エースストライカー、柳沢敦。
10年に1人の逸材として鹿島に入団。以降、13番という背番号が選手として「良い」番号だと印象づけたのもこの選手が居たから。という私の好きな数字はその時からこの13(と14)です。
鹿島のFWはこうあるべき、というプレーを完全に表現できるのはこの柳沢ぐらい。だからこそ、チームを離れるときも、それからも鹿島ファンから愛されてきたのだと思います。
この試合の1つ1つのプレー、選手を見ると、多くの記憶が蘇ってきます。
語り尽くしきれない多くの思い出。
それがこの1試合、90分に凝縮されていました。
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2015年7月5日、ここから鹿島アントラーズの新しい伝説がスタートする、そんな予感がします。
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